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横浜地方裁判所 平成5年(ワ)4690号 判決 1998年4月27日

原告

岡庭ヤエ

右訴訟代理人弁護士

小林幹司

宮川博史

被告

株式会社ミナト住宅

右代表者代表取締役

岸勝

右訴訟代理人弁護士

楠本博志

主文

一  原告が、別紙物件目録記載の土地建物につき所有権を有することを確認する。

二  被告は原告に対し、別紙物件目録記載の土地建物につき、横浜地方法務局神奈川出張所平成五年一月七日受付第四八二号の所有権移転登記の抹消登記手続をせよ。

三  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一  請求

(第一次請求)

主文第一、二項と同旨

(第二次請求)

被告は原告に対し、二二〇〇万円及びこれに対する平成五年五月二七日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

第二  事案の概要

本件は、不動産の売主の承継人(受遺者)である原告が、当該不動産の買主である被告に対し、主位的(第一次的)に売買契約の無効ないし取消しを理由として、所有権の確認と右売買を原因とする所有権移転登記の抹消登記手続を予備的(第二次的)に右売買契約に基づく残代金の支払(付帯請求は催告後の遅延損害金)を求めた事案である。

一  争いのない事実等

1  外山よ志(以下「よ志」という。)は、別紙物件目録記載の土地建物(以下「本件土地建物」という。)を所有していたが、昭和六〇年一一月七日、本件土地建物を含む一切の財産を原告に包括遺贈し、原田康夫を遺言執行者に指定する旨の公正証書遺言をした。

2  よ志は、平成五年一月七日死亡し、右遺言により原告がその権利関係を承継した。

3  よ志と被告との間には、原田康夫を立会人として、本件土地建物を左記約定により被告に売り渡す旨の平成四年一二月一七日付けの売買契約が存在する(乙五の一。以下「本件売買契約」という。なお、原告は、当初乙五の一の成立を認め、その後これを否認した。)。

売買代金 七〇〇〇万円(平成四年分路線価の七〇パーセント相当)

代金支払方法

平成四年一二月七日 二〇〇〇万円

譲渡所得税納付日 二八〇〇万円

残金二二〇〇万円については、毎年一二月三一日限り、四四〇万円ずつを五年間にわたり支払う。

物件引渡日 本物件は、よ志の生存中は同人が居住し、これから生じる家賃収入はよ志の収入とする。ゆえに物件の引渡しは平成五年一月三日とする。

特約

(一) よ志の死亡を停止条件として、残金の支払を免除する。

(二) 残金の支払完了の時である平成九年一二月三一日の翌日を始期として、原田康夫がよ志に対し、その死亡に至るまで生活費として月額二〇万円を支払う。

(三) 代金の支払は、原田康夫が保証人となる。

4  被告は、本件土地建物に対し、横浜地方法務局神奈川出張所平成五年一月七日受付第四八二号の(平成五年一月三日売買を原因とする)所有権移転登記を経由している。

5  よ志及び原告は、本件売買代金として、被告から合計四八〇〇万円を受領した。

二  原告の主張の要旨

1  本件売買契約は、(仮によ志が自ら締結したものであるとしても、)よ志が正常な判断力を欠いていたことを利用したものであり、無効である。

2  本件売買契約は、

(一) 本件売買代金は、本件土地建物の時価に比して著しく低額であること

(二) 何ら合理的な理由がないのにもかかわらず、よ志の死亡を条件とする残代金免除の特約がなされていること

において、公序良俗に違反して無効である。

3  本件売買契約は、被告及び原田康夫がよ志を欺罔して著しく不利な契約を締結させたものである。

原告は被告に対し、詐欺を理由として本件売買契約を取り消す。

4  よ志は、本件土地建物を高額で売却できたものと考え、本件売買契約を締結したものであり、時価を大きく下回った本件売買代金は、要素の錯誤があり、無効である。

三  被告の主張の要旨

1  当時よ志は正常な判断力を有しており、本件売買契約はよ志の希望により締結されたものである。

2  本件売買代金額は、契約当時者の特殊事情、本件土地建物の個別的な事情、また、バブル崩壊後の不況という不動産取引業界の状況等からすれば、不合理な金額とはいえない。

また、よ志は、天涯孤独の身であり、自分の死後財産を原告に承継させたくないという意志を持っており、他にしかるべき承継人もなかったから、よ志の死亡を条件とする残代金免除の合意も不合理ではない。

3  詐欺による取消しの主張は争うが、仮に右主張が認められるとしても、原告から「外山よ志の遺産に関する一切の件」の委任を受けた麻生弁護士は、平成五年五月六日ころ、原田康夫を介して被告に対し、本件売買契約を異議なく承諾し、その後に同趣旨の念書を差し入れ、売買残代金を受領し、原田からよ志の遺産処理の報告を受け、これに関する書類等の引渡しを留保なく受けるなどしたものであり、これは法律上の追認にあたるものである。

4  要素の錯誤の主張は争うが、仮に右主張が認められるとしても、麻生弁護士の前記3の行為は、無効を前提として、民法一一九条但書の新たな行為をしたとみなされるものである。

5  麻生弁護士の前記3の行為は、原告代理人たる同弁護士が、原田を介して被告との間において、本件売買契約の有効性を前提とし、被告の本件物件の所有権を承認する旨の和解(ないし和解類似の契約)を締結したものである。

四  争点

1  本件売買契約はよ志により締結されたものか、及び右締結時におけるよ志の意思能力の有無

2  本件売買代金額は、当時の時価に比較して著しく低いものであったか

3  本件売買契約時、よ志は売買代金についてどのような認識を有していたか

4  本件売買契約の特約条項(特によ志の死亡を停止条件とする残代金免除)の経緯及びその合理性

5  麻生弁護士の行為が、本件売買契約に関する追認、無効を前提とする新たな行為あるいは和解(ないし和解類似の契約)と評価できるものであるか

第三  争点に対する判断

一  争点1(本件売買契約の成立)について

証人原田康夫、被告代表者、乙三の一によれば、本件売買契約書(乙五の一)のよ志の署名押印は、よ志自身の意思に基くものと認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

また、本件売買契約締結当時のよ志の意思能力についても、よ志は当時既に高齢であり、かつ体調も思わしくなかったことは認められるが、当時よ志が契約締結に必要な意思能力を欠く状態に至っていたとまでは認めるに足りる証拠はない。

したがって、本件売買契約の成立はこれを認めることができる。

二  争点2(本件売買代金額)について

1  本件売買契約書(乙五の一)の三項には、その売買代金七〇〇〇万円は「平成四年分相続税評価格(路線価)の七〇パーセント相当である」旨明示されている。

ところで、弁論の全趣旨及び甲四によれば、本件土地建物中土地(以下「本件土地」という。)に対する平成四年分の路線価は、一平方メートル当たり五六万円であり、これに本件土地の面積を乗ずる約一億八四六〇万円となり(仮に乙五の一に表示された「有効面積」を基準としても、約一億五九四〇万円となる。)、その七〇パーセント相当額は一億二九〇〇万円余り(有効面積を基準としても一億一一五〇万円余り)であって、本件売買代金七〇〇〇万円とは相当の乖離があることは明白である。そして、右路線価格が当時の時価評価額からして高きに失するものでないことは、甲一九(鑑定評価書)による本件土地の当時の時価評価額が二億〇〇七八万円であることからも明らかである(なお、甲一九によれば、建物評価額は四〇五万円とされている。)。

2  被告は、本件売買契約が売主側の特殊事情によることや、よ志による契約後の使用収益が認められている(この点については、乙五の一では引渡日を最終的に平成五年一月三日と定めており、真実よ志によるその生存中の使用収益を保証する趣旨のものであったかについても疑問がないわけではない。仮にそうであったとしても、よ志は現実には本件売買契約後一か月以内に死亡しており、本件売買契約締結当時において、よ志の余命がさほど長くないものであることは被告代表者や原田康夫においても十分に予想し得たことが推認される。)ことなどを理由として、種々の減価要因を指摘し、七〇〇〇万円とする本件売買代金は適正であったと主張するが、よ志と被告あるいは被告代表者とは特段一般の取引価格より低額で売買を行うような特別の関係があった事実は認められない(被告代表者)。

また、前記のとおり、売買契約書自体に明記されている以上、路線価とは正規の路線価それ自体を指すものと解すべきであり(不動産業者である被告代表者や、税理士である原田康夫が本件土地の路線価格を知らなかったはずはない。)、被告の右主張は失当である(仮に被告主張のような減価要因が存在するとしても、それは売買代金額を路線価格それ自体とせず、そこから三〇パーセントを減額したこと、更によ志の死亡による残額免除の特約を付したことにより十分に評価されていると見るべきであり、それ以上に、基準となるべき路線価格それ自体に減価修正を加えなければならないような減価要因があったとは到底認められない。)。

3  加えて、本件売買代金額決定の基準に関する被告代表者の供述はあいまいであり、その後本件土地につき横浜信用金庫が被告を債務者とする極度額七〇〇〇万円の根抵当権を設定した(乙一、二)経緯等についても合理的に説明できているとはいえないなど、信用性に乏しいものといわざるを得ない。

4 以上によれば、本件売買代金額は、適正と認められる評価額に比較して合理性を失するほどに低額であり、かつ、契約書に明示された代金額とその根拠(路線価の七〇パーセント)には明らかな齟齬があるものと認めざるを得ない。

もっとも、その代金額と時価評価額との乖離は暴利行為と認定できるほどに甚だしいものとはいえず、よ志の窮迫等に乗じて契約されたものとも認められないから、本件売買契約は直ちに公序良俗違反とまでは認められない。

三  争点3(本件売買代金額に対するよ志の認識)について

1  証人原田康夫によれば、よ志は、生前(入院中)に、本件土地建物を被告に高く売ってすまなかった旨話していたことが認められ、これからすると、よ志は、本件土地建物の売買において、少なくとも通常の取引価格より安い価格で売却したとの認識は有していなかったことが認められる。

ところで、よ志は当時高齢の老婦人であり、過去に不動産取引の経験を有していたこともうかがわれないから、当時の本件土地建物の時価や路線価についての正確な知識があったとは考えられず、本件売買契約書に明記された代金額及びそれが路線価の七〇パーセントであるとの点については、不動産業者である被告代表者や、税理士である立会人原田康夫からの説明を受け、よ志がこれを了解して決定されたものであることは優に認定できるところである。

2 したがって、よ志は、本件売買契約締結当時、売買代金額が路線価の七〇パーセントであり、かつ、これが一般の取引価格に比較して低いものではないという認識を有し、これを前提に本件売買契約を締結したことが認められるところ、前記認定のとおり、実際には本件売買代金額は現実の路線価格と比較して合理性を失するほどに低い額であり、よ志にはこの点について錯誤があったことが認定できる。

そして、売買代金額は、それ自体売買契約の最も重要な構成要素である上、本件売買代金額が路線価の七〇パーセントであることは契約書自体に明記されているから、よ志の右錯誤が要素の錯誤に当たることは明らかである。

3  被告は、よ志が原告に本件土地建物を承継させることを嫌って売り急いだ旨主張するようであるが、もしよ志がそのような意図を持っていたとすれば、原告に包括遺贈する旨の遺言自体を変更すれば済むことであり、被告の右主張は前記認定を左右するものとはいえない。

4  以上によれば、本件売買契約は、要素の錯誤により無効であると認められる。

四  争点5(麻生弁護士の行為の評価)について

1  被告は、本件売買契約が無効であるとしても、原告の代理人であった麻生弁護士が、原田康夫を介して被告に対し、本件売買契約を異議なく承諾し、その後に同趣旨の念書を差し入れ、売買残代金を受領し、原田からよ志の遺産処理の報告を受け、これに関する書類等の引渡しを留保なく受けるなどしたことは、民法一一九条但書による無効行為の追認(新たな行為)ないし和解もしくは和解類似の行為をなしたものである旨主張する。

2  しかしながら、原田康夫はよ志の遺言の執行者であるから、麻生弁護士が受遺者である原告の代理人の立場で原田康夫と折衝したとしても、それが被告との関係において無効行為の追認となるいわれはない。

また、仮に、原田康夫を被告の代理人と見ることができるとしても、民法一一九条但書により無効行為の追認を新たな行為とみなすことができるのは、もともとの法律行為に無効原因があることを行為者が認識していることが前提であるところ、麻生弁護士は原告の代理人であり、よ志と被告との本件売買契約の経緯について詳しく知っていたとは思われないから(むろん、本人である原告についても同様である。)、麻生弁護士の行為は同条の要件を満たすものとはいえない(甲一三の一によれば、麻生弁護士は原田康夫らから聴取した内容を前提として被告と交渉していること、原告の念書も本件売買契約を追認したものでない旨明言していることが認められる。)。

3  次に、被告の主張する和解(ないし類似の)契約の成立については、その主張自体明確とはいえないが、麻生弁護士と被告との間において、本件売買契約を有効とする旨の和解契約が成立したとの趣旨であるとすれば、そのような事実を認めるに足りる証拠はない。

けだし、甲一三の一によれば、麻生弁護士の交渉態度は、少なくともよ志の承継人である原告には残代金全額の請求権がある(すなわち、少なくとも本件売買契約条項中よ志の死亡による残代金免除の特約は無効である)ことを前提とするものであったのに対し、被(代表者)及び原田康夫は一貫して右特約を含めた本件売買契約全体の有効性を主張していたものであり、この点について双方間に何らかの歩み寄りがあったことがうかがわれない以上、麻生弁護士と被告との間に本件売買契約の有効性を前提とした和解合意が成立したはずはないからである。

五  よって、本件売買契約は無効であり、原告の第一次請求は理由があるから、主文のとおり判決する。

(裁判官曳野久男)

物件目録<省略>

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